巴蜀物語(三國志真戦 外伝)

プレイヤー創作オリジナル小説:巴蜀物語(三國志真戦 外伝)

サーバー44 昇龍さん

 

・ゲーム体験を元にしたフィクション作品で、登場する人物などはゲーム内で実在しているキャラとは関係ありません

・プレイヤーの一人であるサーバー44・昇龍さんから『三國志 真戦』の戦いからヒントを得た、オリジナル小説が届きましたので、公開いたします。

・『三國志 真戦』戦略家幕舎では、今後も優れたオリジナル作品を紹介していく予定ですので、作品を応募したいプレイヤーの方は「sangokushi_toukou@qookkagames.com」までご連絡ください。

 

 

【第一章】

巴蜀。その土地は鉄鉱と糧食の生産に優れてはいるものの、軍閥として育つには不向きな土地であった。しかし、その巴蜀で、友好を柱として、皆で助け合い豊かになることを旗印に、一つの同盟が立ち上がった。名は「英」。盟主は、呂布のような強者でもなく、富豪でも名家でもない。周囲の声に謙虚に耳を傾け、素直に助力を求める人物であった。彼の人徳の下に、智と理を備え鍛錬を惜しまぬ才ある人士が集い、巴蜀州内の融和を旗印に努力を重ね、巴蜀第一の同盟となった。彼らの願いは、巴蜀の地を争いのない州に育て、皆で豊かになること。そのために資源州についても視野に入れたが、欲は少なく、関中州漢中郡の西半分でも進出して、民を豊かにしようと、その時に向けて鍛錬を重ねていた。

その想いに、巴蜀内のいくつもの同盟が賛同し、相互扶助を掲げて巴蜀の開拓に精をだしていた。一部、戦闘を好む同盟があり、巴蜀の平和が乱されたので、その同盟については駆逐した。鍛錬された「英」の兵、そして義を同じくする他同盟の兵たちは果敢に戦い、巴蜀の平和を取り戻した。

その頃、北の国、西涼州が動いた。西涼の2同盟が、一歩先に関中州に進出した。「英」は、巴蜀州と関中州を繋ぐ陽平関を既に手にしていたが、巴蜀内の平定を大事にすべしと、関中への進軍をとどめていた。そこへ西涼州の2同盟は、「関中州内の調整をするので進出は待ってほしい」と依頼してきた。他州の事情もあるのだろうと、誠実な「英」をはじめとする巴蜀内の各同盟は、その申し出を受け入れ、ひたすら待った。

しかしいくら待っても、進出を認める知らせはこない。それどころか、西涼の、女王が支配する方の同盟は、陽平関の向こう側に堅固な防衛線を固めていく。はやる同盟員を「信じることは大切」となだめ続けていた首脳陣の中にも、「いいように騙されたのではないか」という疑念が湧いてきた。

西涼のもう一つは若き王が支配する同盟である。先の女王の同盟と力を合わせて動いている。その王からは、「待たせてすまない。女王が理解してくれない。」との回答があるのみであった。

その頃、東の大国が、関中州へ進出する情報を得た。西涼を信じて散々待たされた巴蜀諸将の我慢が限界に達した。もう待ちきれない。巴蜀の皆を豊かにする為にも、関中へ進出しよう。しかし、侵略·蹂躙となってはいけない。漢中郡の西半分まで行ったら、進軍をやめよう。その戒めを持ち、ついに陽平関から漢中郡へ進軍を開始した。

  陽平関の戦乱は、我慢と鍛錬を重ねた巴蜀連合の圧勝であった。

ところがそこへ、さらに北の超大国の介入が始まった。どうやら、西涼と友好を結んでいたらしく、助けを求められて介入したようだ。西涼にせよ、北にせよ、兵種の育成に優位性がある。その北の超大国と争う意思は、もとより巴蜀にはなかったので、超大国の指示を受け止め、巴蜀の一同は、陽平関まで撤退した。

超大国の介入に、西涼の不義を感じながらも、巴蜀は耐えた。「英」をはじめとする巴蜀州の諸同盟は、改めて巴蜀内の相互扶助に努めた。力のあるものが、不要となった土地を育成途中の君主に譲り、再び「皆で豊かになる」目標に向けて、隠忍と堅実の日々を送っていた。

 

【第二章】

ところが、ある日。西涼から戦をしようと連絡があった。準備ができたら宣戦布告をする、それまで待つようにと。

北の超大国の指示にしたがって行動していた巴蜀からすると、戦闘集団の気を晴らすための模擬戦なのかと、思案をしていた。

しかし、合戦となれば、最低限の防衛は必要である。巴蜀の諸同盟·諸将は、当時所有者の無かった、西涼と接続する関所の確保に移った。しかし、隣接地を剥ぐ以外、それ以上の西涼への進軍は控えていた。

この頃、「英」は、資源州から撤退させられた状態ではあっても、全土で第四の実力を育てていた。出身州·巴蜀の資源を隈なく開拓し、相互に鍛錬し、寄付を集め、額に汗して辿り着いた実力であった。順位は、西涼の彼らより上であった。今思えば、これも妬まれたのだろう。

関中州の資源で潤った西涼勢は、ある日侵攻を開始する。それは蹂躙侵略と評しても良いような、容赦のないものであった。物量に物を言わせて非情に侵略を続ける西涼軍に対して、巴蜀の諸将は懸命に戦ったが、力およばず、大いに侵略を許す事となった。このままでは、巴蜀の力無き者たちまでも、蹂躙されてしまう。そう考えた首脳陣は、停戦に合意する。屈辱的な条件ではあったが、巴蜀の民を守るためには、忍従をせざるを得なかった。

その後、支配者としての本性を現した女王は、次々に要求を突きつける。

合戦終期、勝ち目がないと感じた諸将から、巴蜀の誇りとして成都を手中に納めようと、戦線を離脱し成都を共同で攻略する部隊が編制され、無事に成都を攻略した。

 巴蜀の誇り、成都。

 女王の欲は再現を知らず、ついに、その成都にまで手を伸ばし始めた。

 女王の傍若無人は止まるところを知らない。苛政に苦しむ中でも参加した西涼・巴蜀の会合の席で、対等であるはずの列席者で、異を唱える巴蜀代表の発言に対して彼女は感情的に「黙れ」と言い放つ。また、子供がささやかな抵抗から石を投げると、その子の村全てを焼き払うと通達してきた。

ひたすらに、外交の条件を守り、民を守ろうとした巴蜀の王たちであった。しかし、配下の力ある将軍たちは、その姿勢に耐えきれず、これまでの恩を守りながらも、野に下り放浪軍となり、それぞれの義を果たさんと考える者が相次いだ。

時間と共に、「巴蜀の悲劇」は全土の志士の知るところとなった。仁義礼智信の五徳を理解する者は、声援を送り、他州出身の放浪軍も、西涼に対する義挙に及んだ。

「義は巴蜀にあり」そんな言葉が密かに全土を駆け巡った。

その時、東の大国が義を持って動いた。自身の北面での戦闘と並行して、巴蜀解放の為の協力を申し出た。

「英」とその友好同盟の中では、若きリーダーが、穏健派の君主を隠居させた。これは交戦の責をその一身に受ける覚悟での義挙、譲位勧告であった。若きリーダー達は、西涼に対して宣戦布告、陣頭指揮で反撃に転じた。隠居した元の君主たちは、国の幸せを祈りながら沈黙した。

呼吸を合わせるように、東の大国が荊楚と巴蜀を繋ぐ関を確保して、侵攻と見せかけながら、巴蜀へ侵入。準備を整えて連携をとりながら、西涼勢の駆逐に動き始めた。静かに、そして着々と。本格的な合力が可能となるまでには時間を要した。巴蜀勢は多くの同志が捕虜となる中、物量に勝る西涼勢に対して懸命に抗戦し、一進一退を繰り返しながら戦線を維持した。

 

【第三章】

秋風が吹き始めた長月の末、ついに合流を果たした東の大国と巴蜀連合は、大攻勢に転じた。稲穂を揺らす一陣の風のように、東から西へ、そして北へと、暴虐なる侵略者、西涼勢を押し戻してゆく。時を見て取った放浪軍も、西涼の退路を叩くように攻勢を強める。

「義は巴蜀にあり」この戦の大義が、諸将の戦意を向上させる。

その攻勢は、燎原の火の如く。その勢いに、西涼勢は停戦交渉を持ちかけてきた。

しかし、西涼の女王は、その肥大した自尊心からまともな交渉ができない。諸氏ご存知のとおり、交渉とは条件の見直しを前提としている。にもかかわらず、女王は、誤解から開戦の糸口を作ったことについては謝罪したものの、条件は一切、変更しないと、尊大に言い放つ。

会議に参加した諸将は、言葉を失った。東の義国が冷静に議事の進行に務めるが、虚しく時間だけが過ぎていく。

ついに西涼から本音が出た。西涼と巴蜀をつなぐ関に隣接する郡を2つ欲しいと。

つまり西涼は飢えていたのだ。義戦のように振る舞っていたが、結局は資源欲しさの侵略であったことが露呈する形となった。

資源州入りを、欺きにより長く押し止められ、資源に窮しているのは、巴蜀の方である。それでも相互扶助で助け合っている巴蜀へ略奪侵攻を行い、負けそうになると、「譲歩」と言わんばかりに2郡を要求する。

果たして本当に西涼は飢えていたのか。

ある老人が、水を求めた西涼の兵に聞いた話である。戦の最中、懸命に可能な限り、捕虜となった仲間の救出に奔走する巴蜀の兵を見て、羨ましいと感じたと。

裏を返せば、西涼にそのような、巴蜀が当然のように行なっていた相互扶助がなかったということだ。一部の力あるものが資源を独占し、国民は飢えた。それを見て、自らの資源を分け与えることなく、他州への侵略を思いついたということである。巴蜀へ行けば、資源がある、付き従えと。

会議は膠着した。巴蜀は完全撤退を譲らない。再び蹂躙され、領民の涙が流れることを防ぐために。

ついに西涼は、完全撤退を口にした。しかし、巴蜀と西涼を繋ぐ関は譲れないと。合わせて、東の義国の不介入を求めた。魂胆は見え見えである。一度引いておき、義国が去った後、再び侵略するのであろう。子供にでもわかる絵である。

西涼は東の義国に、不介入の回答を求めた。すると、義国の王は静かに口を開く。「ひとたび血盟を結んだ以上、我が国は、添い遂げる。それは我が国の国是であり、義である。」と。巴蜀諸将は感涙を隠さなかった。西涼は青ざめ冷静さを失った。児戯のごとき計略は、見事に打ち砕かれた。

巴蜀は、西涼への不可侵を前提に、巴蜀からの西涼完全撤退と防衛のためにも接続関所の譲渡を譲らない。実は、関所の譲渡については、二つの内、一つは譲る考えも巴蜀にはあった。しかし、義国の不介入を求められた時、西涼の黒い策略を思い知らされたのだ。ことここに至ってまで、侵略を諦めない西涼への信頼の要素は皆無であった。

交渉は決裂し、戦闘は再開されるのであった。

 

【第四章】

西涼の女王は、短慮にも、再び北の超大国へ泣きついた。以前に対立し、停戦に持ち込んだ東の義国が、巴蜀と組んで、関中に侵攻しようとしていると吹き込んだのだ。北の超大国は、目論んでいた。団結力があり活動盛んな巴蜀は、早いうちに押さえておきたいと。

そうして北は、巴蜀が東と組んだことを理由に、巴蜀へ宣戦布告を行ったさらに力をつけていた北の進軍は、圧倒的であった。一方、巴蜀は、宣戦布告を受けたにも関わらず、北と争う意志はなく、ひたすら西涼の押し返しに兵を割いていたので、巴蜀北東部の陽平関はほぼ無抵抗で北の手に落ちた。

そこから北の進軍は、無人の野をゆくが如く。辺り一面に防衛のために設置されていた櫓· 柵·幕舎を一掃し、巴西郡の軍都である閬中を瞬く間に陥落させた。さらには巴西と陰平を繋ぐ埠頭を制圧。東の国の兵站を分断した。

その中にあっても、「英」の面々は、実直なまでに西涼の押し返しに専念した。あれほど押し込まれていた梓潼では、甘松前の西涼の王の防衛陣まで辿り着いていた。その進軍は、懸命実 直。力を合わせ、力を繋ぎ、声を掛け合いながらの進軍であった。願いは、平和な巴蜀の回復である。

この動乱は、西涼に対する多くの怨嗟を全土に撒き散らすこととなった。

北の大国の仲裁により、終戦となった後、巴蜀の勇士たちは、動きを封じられてしまった国の中で生きるよりもと、流離う事への大きな不安を乗り越え、勇敢にも放浪軍として、新しい戦いの場所に身を投じた。放浪軍の多くは、「仇敵殲滅」「大義北伐」を旗に掲げ、西涼での後方撹乱を行うこととなる。その姿は、全土の勇士が集うきっかけとなり、他州出身の多くの放浪軍が西涼へ雪崩こみ、瞬く間に西涼を蹂躙した。そして彼らは、資源州·関中への侵攻を繰り返し、北の大国とその仲間たちを大いに振り回すこととなる。そうして誰もが予想だにしなかった、大放浪軍時代が出現した。

振り返れば、巴蜀·西涼、そして北が鼎立状態を維持して、北が全土の制圧に動いた時に、巴蜀と西涼が連携をとる体制こそが、大国の蹂躙を防ぐ条件であった。しかし西涼は、自身の欲に負けてこの鼎立を破壊し、自らの墓穴を掘ることになったのである。さらに西涼2国は、自身の領地である西涼を丁寧に治めることを蔑ろにして資源州の土地を食い散らかした為に、故国の西涼は、放浪軍の自由な略奪を許す事となる。資源州に進出していた西涼の武者たちは、自身の足元の領地を守ることもままならず、北の大国とその友好国が、前線で放浪軍の大集団と争うことになる。

結果として、西涼の女王は、長期戦略的には手を携えるべきであった巴蜀を弱体化させ、その結果、国内に放浪軍を多く抱え、困難な中で、その立場を大きく損なう事となった。

本来であれば、洛陽を制した覇王の支配の元、各州がそれぞれに安定を迎えることも予想されていたが、想像を超えた放浪軍の誕生を生み出し、戦乱は長引き、全土は、一つの時代が終わるまで、戦乱の相次ぐ事態となった。

 のちの歴史学者が、この時代の放浪軍の大量発生を分析した。一部の、私利私欲に走った同盟が、相手同盟を敬意なく蹂躙して、正規軍であり続けることへの夢と希望を奪ったことが、敗者の多くに放浪軍を選択させたのだと。

 

【終章】

国破れて山河あり。

戦乱は北の支配の元、終わりを告げた。城の支配は散逸したが、山や川は変わらずそこにあり続けた。

城春にして草木深し。

随所に、朽ち折れた槍や弓矢や兵器の残骸が残るが、春を迎えた巴蜀の民は、顔を上げて大地に鍬を下ろす。

時に感じて 花にも涙をそそぎ、

喜ぶべき春だというのに、花を見ても涙がこぼれ、

別れを恨んで 鳥にも心を驚かす

和やかにそして闊達に語り合った友はまだ異国で戦斧を奮っている。なぜ別れることになってしまったのか。離別の悲しみが心を覆い、不安定な時代に、鳥の羽音にすら、驚いてしまう。

それでも、巴蜀の民は、勤勉であった。目の前にある大地と真剣に向き合い、巴蜀の理念である相互扶助で生活の再生に取り組んだ。

 この頃、「英」は細々とではあるが、国として存続していた。

 一方で西涼の2同盟は、ひとたび建国したものの、首都を放浪軍に奪われ、国を維持することができず、大地に名を刻む事なく消えていった。

※ 本投稿はプレイヤーによるものです。参考としてご覧ください